menu

イベントレポート No. 05
細胞競合コロキウム

これはヤスの視点から見た第1回細胞競合コロキウムのレポートである。

 さる平成24年2月2日から3日にかけて、神戸大学医学部井垣研のメンバー総勢7名を札幌にお迎えして第1回細胞競合コロキウムが開催された。井垣研はショウジョウバエを用いた細胞競合研究の第一人者であり、世界的にも非常にレベルの高い研究を展開している。哺乳類における細胞競合を研究しているヤスラボと共同研究発表会を行うことで、ラボ間の交流を図るとともに、新たな視点でお互いの研究を見つめ直すいい機会になることが期待された。

 まず、2月2日、すすきの「夜空のジンギスカン」店にて意見交換会という名のもとで飲み会が開かれた。二つのテーブルに別れて、ジンギスカン鍋をつつき合った。ヤスのテーブルにはヤスラボからは真野君(弘毅)、井垣研からは博士課程の3人の学生(全て女の子)が加わった。東京暮らしについて(やっぱり関西はいいよねという結論)、淡路島の鱧しゃぶが絶品であること、愛媛の食べ物のレベルの高さ、ピーターパン(さて誰のことでしょう。僕もそんな爽やかなニックネームで呼んでもらいたい...)などについて話した。ヤスのつっこみに対する大阪出身の中村さん(麻衣ちゃん)(博士1年)の反応の早さ(平均0.5秒くらいか)に「関西ってやっぱりええなあ」と実感。途中から、赤井さん(ななみさん)(博士1年)が「北海道の梅酒はアルコール度がきつい」と訳の分からないことを言ってダウン。でも、なんと言ってもあのテーブルで異彩を放っていたのは瀧野さん(恭子ちゃん)(博士2年)だった。彼女の話すテンポや会話の返し方が独特で、本当に不思議な雰囲気を備えている。彼女を取り巻く特殊な空間の中で暫し彼女と目を合わせたまま佇んでしまった。その後はポスドクの榎本君(えのちゃん)や大澤さん(シズ)も加わってワイワイと話した。シズとは以前にも何回か話す機会があったが、その時は他に偉い先生(あるいは井垣君?)も場にいたためか借りてきたネコのようにおとなしかった。今回、生き生きと話すはじけたシズを見ることができたのはとても良かった。 「ちょっと飲み足りないですねえ」という井垣君の提案で二次会はすすきののニッカバーで。井垣研からは北海道の梅酒にダウンしたななみさん以外の6人、ヤスラボからはヤスとミホコのみの参加であった。「明日があるから一杯だけ」という約束は、ニッカウヰスキーの威力によって儚くも砕け散るのみであった。。。。

 翌日、午前9時から遺制研セミナー室にて合同研究発表会が行われた。内容についてはconfidentialであるためにここで詳細を明かすことはできないが、二つのラボががっぷり四つに組んで、まだ論文になっていないデータを続々と発表しあった。井垣研からはショウジョウバエのデータが、ヤスラボからは主に哺乳類の培養細胞を用いたデータが示された。この合同研究発表会のよさは、細胞競合という同じ研究テーマについて、二つのラボがそれぞれ異なるモデルシステムを用いて研究しているため、それぞれのデータが競合することなく、むしろ大きな相乗効果が期待される点である。実際、非常に興味深いことに、細胞競合と代謝あるいは細胞競合とシグナル伝達経路などについて、方向性の近いプロジェクトを幾つか見ることができた。「やはり研究者って同じことを考えんネンなあ」と思わされたなあ。
 それにしても、井垣研のデータの質と量には本当に圧倒された。いやあ、さすがに世界レベルやなあ。発表を聞きながら、知的好奇心が大いに刺激された。いやあ、面白かったなあ。ヤスラボはまだ札幌に移ってから一年足らずなので、データの質・量ともにまだまだこれからである。うちも頑張っていかなあかんなあ、と思いを新たにした。また、今回の発表会では二つのラボの参加者ほぼ全員がトークを行った。まだ外で発表するのに慣れていない学生たちが緊張しながら話すのを見るのは、大変微笑ましかったなあ。。彼らにとっても大変いい経験になったのではないかと思う。発表後の質問もかなり活発に飛び交った。異なるモデルシステムの研究者からの切り口が異なる質問はお互いのラボにとってstimulatingかつinspiringであったと思う。研究発表会は途中で定山渓ホテルに場所を移して続けられ、終了したのは夕食の直前であった。

 夕食はビュッフェ形式で希望者はアルコール飲み放題。私が飲みまくってアルコール血中濃度が急速飽和に達したのはいうまでもない。お互いのラボの雰囲気の比較、ラボメンバーの性格、など様々なことについて話の花が開いた。いやあ、やっぱり研究の話をした後の食事(酒付き)って本当にいいよねえ。(また、井垣研ではラボミーティングが英語であることをこの時に初めて知った。これに触発されてヤスラボでも同様に英語でのラボミーティングに切り替える大きなきっかけとなった。)

 それからは部屋に戻って、麻雀大会およびUNO大会。大変盛り上がりました。麻雀大会の参加者は、井垣研からは井垣君と竹本君(たけちゃん)、ヤスラボからはヤス、八子君(優太)、菅沼さん(ひーちゃん)。白熱した戦いが翌日の早朝まで繰り広げられた。結果はヤスラボの圧勝!研究報告会では圧倒され気味であったが、麻雀で一矢報いた感じである。井垣君は最初の半荘は「つかーん」を連発し低空飛行だったが、最後の半荘に入って徐々に調子を取り戻し、面前清一の倍万をツモあがりし、面目躍如した。たけちゃんが、一回目の半荘が終わった後に姿を消し、ハコをかぶったことをはかなんで失踪したのではないかとみんなで探す場面があったが、単に長風呂につかりに行っただけだったという一幕もあった。

 翌朝にバスで札幌駅まで帰って、解散。バスの中では井垣君の横に座って、ずっとサイエンスの話をした。麻雀明けのほとんど睡眠を取っていない二人が熱くサイエンスを語り合う。うーん、俺たちって本当にサイエンスが好きなんやなあ。

 大変実りのあった第一回細胞競合コロキウムであった。元々は三宮の飲み屋(たばる坂:ヤスお気に入りの名店である)で井垣君と飲みながら「なんか一緒にやろうや」と酒の勢いに任せて構想を練ったことから始まった会であったが、非常に楽しくかつ有意義なものであったと思う。次は、神戸で開催かな。楽しみにしています!

updated : 2012/06/12