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YASUの呟き No. 06

ヤスLabの憲法

憲法公布日 平成23年3月14日(祝日にはならない)

これはヤスLabメンバー(私、スタッフ、学生を含めたヤスLabで研究を行う全ての者)が守るべきルールと心のあり方です。ヤスのこれまでの経験やサイエンスに対する哲学に根ざしたものです。基本的にはロンドンのラボでこれまで行っていたものと同じ感じです。しっかり熟読して遵守するように心がけて下さい。また、私のラボへの参加を考えている方には参考にしていただければ幸いです。

(第一条)教授の心得

教授(ヤス)は、Labメンバーがサイエンティフィックにそして人間的に向上し幸福を追求できるように、最大限の教育とサポートを提供するよう誠意努力する。教授はLabメンバーのやる気・健康状態・能力・将来のビジョンを適正に判断し、(平等ではなく)公正に教育・指導を行う。
また、私の大学院時代の恩師の高井義美先生はよくおっしゃられてました。「どんな人でもなんかの取り柄がある。何らかの形で必ずサイエンスに貢献できるのだよ」と。ラボのメンバーの特性をしっかり見極めて、それぞれの人の長所をさらに伸ばしてあげるように教育していきたいと思います。

(第二条)ラボ内でのルール

1 身分はフラット 「先生」禁止
以前、京都大学医学部に月田承一郎先生(故人)(タイトジャンクションの研究で世界の第一人者であり私のアイドルでもあった)の研究室があった。そこでは先生の呼称が禁止されており、ラボのメンバーは月田先生を「月田さん」と呼んでいた。私はヨーロッパで14年間の研究生活を送り、先生の御意図を少し会得できたような気がする。
サイエンスにおいてプロジェクトの発展には、実際に実験をしている若い研究者が色々とアイデアを出してあれやこれやともがくことが本当に重要である。それが、経験のあるスーパーバイザーの適切なアドバイスとマッチした時にプロジェクトが飛躍的に発展していくのを何回も目の当たりにしてきた。また、ラボのミーティングで若い学生の斬新な視点からの発言に「ハッ」とさせられることも数多い。研究室のヒエラルキーがきつく、上の先生の意見が尊重される雰囲気の中では、シャイな日本人の若い学生は自分のアイデアを自由に話すことが難しくなる。月田先生は若い学生さんと対等な人間関係を作り、彼らにのびのびとサイエンスをさせるために「先生」を禁止されていたのではないかと推察される。ということで、若干月田研のパクリではあるが(いやいやロンドンの僕のラボでもそうだった)、ヤスラボでは「先生」を禁止します(罰金100円?)。僕のことは、藤田さん、ヤス、ヤスさんなどと呼んでください。ただし、他の研究室の先生方にはしっかりと敬意を持ち「先生」を付けて呼ぶこと。
また、ラボ内での身分はフラットであり、研究室の雑用もスタッフ(助教、技官)やポスドク、学生の能力に応じて同じように与えられる。ドクター、マスター、学部学生の間に上下関係は一切なし。ただし、このシステムを円滑に回すには、研究経験の少ない者がこのフラットな関係に甘んずることなく、経験豊かな人に対する敬意を適度に示すことが重要である(なんて日本的なんだろう。この最後の文はロンドンではなかった)。また、清掃業者、事務職員、業者の方などは私たちのラボを円滑に運営するためにとても大切な存在です。しっかりと挨拶をして、丁重に応対して下さい。

基本的に僕は地位や学歴をひけらかして偉そうにする人を好まない。総じてそのような人は、地位や学歴しか持っておらず、自分自身の中身に自信がないためそのような行動をとるのである。これまで世界中の研究者を見てきたが、偉大な研究者の多くはとても謙虚で、他の人の意見にも素直に耳を傾け、学生さんなど下の人にもフレンドリーに接する。ロンドンのMRC研究所時代の同僚でありMolecular Biology of the Cellというテキストの編者でもあったMartin Raff先生が僕のrole modelです。僕自身「教授」という地位にあること自体にはあまり意味はなく(もう少し教授らしく振る舞うべきだという意見はあるが・・・)、「教授」として質の高いサイエンスを展開できるかが大切であると常に自戒している。

ラボのメンバーの一人一人が研究室にとってかけがえのない存在になって欲しいと心から願う。みんなが、このラボをよりよくするために努力して欲しい。僕も、みんなからのラボを改善するための提言をいつでも真摯に傾聴したい。

2 アカ(パワ)ハラ、セクハラは決して許さない
研究というものはうまくいかないことが多く、ストレスがたまることもしばしばである。それに加えて、研究以外のことがストレスになったらもうたまったものではない。僕の役割は、みんなが研究に楽しく没頭できる環境を整備することです。研究以外のことでラボのメンバーに無用なストレスをかけることを厳しく禁じます。自分の何気ない言動が他の人に思いがけない迷惑・ストレスをかけうる可能性を常に留意してください(僕も気をつけます)。
もし、あなたが、ラボの内外でアカ(パワ)ハラ・セクハラにあっていると思ったら、一人で悩まないで僕に教えて下さい。絶対に助けてあげるから。

(第三条)指導時の心得

1 まず下の人の面倒を見る
僕が大学院生であった時の出来事である。ある日の朝、指導教官の先生にその日行う実験のプロトコールについてアドバイスをもらいにいったところ、「今忙しいからちょっと待ってろ」と言われ結局6時間ほど相手をしてもらえなかった。そのためその日は翌朝の3時頃まで実験を終えることができなかった。その出来事を反面教師にして、僕は(論文投稿直前などの特殊な時以外は)学生やポスドクへの対応を自分自身の仕事よりも優先して行うように心がけている。
学生はまだ未熟でfragileな存在である。彼らは経験のある人からのアドバイスや情報を必要としている。まず、彼らの面倒を見ることを優先するように心がけて下さい。

2 指導する時は謙虚に
指導する時には、決して上から目線で偉そうにしてはならない。自分が教えていることが本当に正しい情報・知識であるのか謙虚に自問しながら指導することが肝要である。学生から質問を受けた時に、自分の答えに自信がない時はその旨を素直に伝え、他の人に聞くか調べるなりしてしっかり教えてあげましょう。得てしてこのように、指導をすることにより自らも向上することが少なくない。学生から慕われ頼りにされるような指導教官・先輩になることを目指して下さい。

3 他の人が指導している時は横から口出ししない
学生に指導していて横から他の人に「僕(私)は違うやり方でするけどなあ」「それはこうした方がいいよ」などと言われた経験はありませんか?あれってムカつきますよね。人の振り見て我が振りなおせ。他の人が指導するのを見ていて、「これはちょっと間違ってるなあ」と思ったら、その後に指導していた人とディスカッションするようにしましょう。その場で指摘すると指導している人のメンツもなくなりますし、指導されている学生さんも困惑します。

(第四条)学生の心得

1 もう君たちは学生じゃない
僕たちスタッフやポスドクはサイエンスに人生をかけ、日々仕事に没頭し世界の研究者たちと競争している。そのような戦場に入ることになった君は、もう決して学生気分でいることは許されない。もちろん、君は十分な教育を受ける権利を有している。しかし、同時にpassive learnerではなくプロフェッショナルなactive creatorになることも要求されている。学生気分を捨てて、世界と戦うべくqualityの高いサイエンスを追究する能力を少しでも早く身につけて下さい。

2 指導を受ける時は真剣に
僕たち指導をする者は、実験の準備をし、他の仕事に充てる時間を調整して君たちに指導するための時間を作っている。指導を受ける際は、指導者に貴重な時間を使ってもらっていることを強く自覚して真摯な態度で臨んで下さい。遅刻なんてもってのほかです。また、実験の指導を受ける時にはしっかりとメモを用意して、指導者の一言一句を逃さないように書き留めて下さい。僕の研究室では、教えるのは基本的に一回だけ。二回目からは学生さん自身でやってもらうようにしています。二回目も色々と聞かなければできない学生は、やる気、あるいは能力が低い者と見なされます。しっかりと集中して指導を受けるように。

(第五条)研究者としての心得

1 卑しいサイエンスをしない
僕がドイツに留学していた時のことである。ある日、同じ研究室の同僚のポスドクが「ヤス、この論文を見てみろよ。このデータをもうひとひねり発展させれば論文になるぜ」と話しかけてきた。彼はその日から、張り切ってそのプロジェクトを始めた。『そんなん、きっと論文を出したラボか、同じように論文を読んだ別の人がやるんとちゃうかなあ』と思っていたら案の定、半年後にその論文を出した研究室から先に論文を出されてしまった。また、学会でポスター発表していた別のラボの研究内容がまだ論文になっていないのを知って、同様の研究を先に終えて論文を作ろうとするポスドクやグループリーダーも複数知っている。欧米では研究者としての生き残りがとても厳しいのでこのような人を時に見かける。もちろん、他の研究室から出たデータを見て、自分の研究を発展させるヒントを得るのはいいことだと思う。でも、上記したように他の人の仕事に乗っかった仕事を僕は「卑しいサイエンス」と呼んでいる。それは卑しいだけではなく、他の研究室のデータが間違っている可能性があるので危険でもある。
また、「どうして今のプロジェクトを始めたのですか?」という質問に対して、「これが今のトレンドだからですよ」と得意げに答える研究者を時に見かける。自分のプロジェクトがたまたまトレンドの方向に向くのはいいかもしれない。でも、トレンディーだからといって、自分の研究をその方向に持っていくのも、僕は「卑しいサイエンス」と呼んでいる。なぜならそこにはオリジナリティのかけらもないからである。トレンドに乗っかるのではなく、自分で新しいトレンドを切り開いていくのが一流のサイエンスであり、我々の目指す道である。厳しい道ではあるが。

2 論文のための論文を書かない
研究者にとって自分の仕事を論文に発表するのはとても重要なことである。また、多くの場合、研究者の評価はそれまでに発表してきた論文によって決まる。だから、研究者は論文を出すことに必死になる。そして、論文を出し続けることを目標とし、多くの論文を出すことに満足を覚える。論文の数を尊重する傾向のある日本の状況がそれに拍車をかける。
しかし、そのような忙しい日々の中で、研究者は本当に重要なことを忘れてしまいがちである。最も大切なのは、「質の高いサイエンスをして、世界にインパクトを与える」ことだいうことを。僕らのように少し経験を積んでくると何か新しいデータが出た時に、「あ、これは論文になるな」とわかることが多い。しかし、その論文の内容が本当に自分のしたいサイエンスなのかどうかをしっかりと検証することが大切である。そうしないと、節操なく論文を多く発表して、ハタから見ていったいどのようなサイエンスを目指しているのか分からない状態になりかねない。論文はどんな論文でも通すのにかなりのエネルギーを要する。方向性をしっかり定めて、質の高い論文のみを出すように努力し、軸の揺らがないサイエンスを展開していきたい。

3 データは虚心坦懐に観る
我々が実験を行なう時、ある程度結果を予想しながらデータを見ることが多い。出たデータが予想と全く異なっていたとき、あるいは理解できなかったとき、どのように考えるか。これが研究者の運命の分かれ道となる。多くの人が「なんじゃこりゃ。こんなデータが出るはずではなかったのに」と捨ててしまうところを「うーん、どういうことなんだろうか?」と腕を組み苦悩しながら深く考えることからプロジェクトが発展することが多い。その時にはまだそのデータの意味が分からないかもしれない。でも、色々と可能性を熟考することによって、新たな他のデータが出た時に、そのデータの意味がひらめくようになるかもしれない。
我々凡人は残念ながら絶対主が作りたもうたこの世界を完全に理解できるほど賢明ではない(ちなみに私は無宗教だが、この素晴らしく巧緻な世界に対する畏怖の気持ちは強い)。だから、我々が思いついた仮説が常に正しいと考えることはおこがましく、間違っている 。自分の考えや仮説に拘泥しては絶対にいけない。常に精神を自由にflexibleにすることによってデータから真実が導き出されるのだ。
きちんとコントロールをとり、しっかりとしたテクニックのもとに出てきたデータは常に尊い。自分のラボのデータこそがオリジナリティであり宝物なのである。どんどん宝物を手にして、新たな道を切り拓いていきましょう。

4 決してプロトコールをいじらない
「ヤスから学生へのメッセージ」にも書きましたが、 私の大学院時代の恩師の高井義美教授はいつも私たちに言っていました。『自分のオリジナリティはサイエンスのアイデアに使え。実験方法をいじることに使ったらあかん』本当にその通りだと実感します。出来の悪い学生ほど、確立したプロトコールをちょっと変えて楽をしようとします(3回washすべきところを2回だけするなど)。そういうことをすると、他の人と違うデータが出たときにどこが違ってそうなったのか全くわからなくなってしまいます。優秀な学生はそういう無駄なところには頭は使わず、しっかりとコントロールをとり、きっちりと実験をして、次の実験計画などもっと大切なことに頭脳を使います。英語では'bet on the winning team'(ずっと勝っているチームに賭けよう)と言います。うまく動いているプロトコールを変えるほど愚かなことはありません。

5 研究費は血税である
我々の研究費の大半は国からの科研費である。研究を行う際には常に、国民の血税を使って研究をさせて頂いているという感謝の気持ちを忘れてはならない。試薬や機械なども本当に必要なものだけを注文し、購入の際にはできるだけ業者さんに安くしてもらうよう関西風に値切りましょう。また、自分の行なっている仕事が国民の幸福につながるよう最大限努力していきましょう。

(第六条)高い志を持つ

人間の一生は本当に短い。でも、この限りある人生、できるだけ輝いて生きていきたい。そのためにも、人生の目標を高く持つことが重要だと僕は思う。「棒ほど願って針ほどかなう」ということわざもある。高い志を掲げて、目標に向かって努力することによってこそ、ある程度の望みが叶うのである。志のない者には、大きいチャンスは決して訪れない。どんな志でもかまわない。僕の研究室のメンバーには高い志を抱いて欲しい。そして、その高みに向かって精一杯努力して欲しい。お互いに切磋琢磨する中で、きっと素晴らしいものが生まれてくると信じている。 ちなみに、僕の志は「他の人とは違うやり方で、新規の癌治療法を確立する」である。Boys (Girls or オッサン) be ambitious! この北海道の地で大きな志を共に育んでいきましょう!

updated : 2011/03/17