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YASUの呟き No. 17

この原稿は、羊土社から出版されている『ポスドクの流儀』の前書きとして執筆したものです。ポスドクが、サイエンスの世界で生き残り、キャリアアップするための様々な情報を与えてくれる本ですので、興味がある方は、チェックしてみて下さい。

学生時代の何かと守られていたモラトリウムを終え、社会の荒波へ。大学院を卒業したばかりで、まだまだ研究者としては未熟。でも、論文を出さなければ、次のステップに上がることができない。成長しながらも成果を挙げることが求められる、キャリアの中でも最もクリティカルな時代、それがポスドクである。でも、ポスドク時代をどのように乗り切っていけばいいのか、誰も教えてはくれない。

僕にとってもポスドクの期間は、キャリアにおいて最も厳しく、苦しいものだった。道を何度も間違い、彷徨い、もがき、頭を抱えた。いやあ、本当にしんどかった。でも、その中で多くのものを学び、大きく成長を遂げた時代だった。読者の皆さんの参考になるかは分からないが、僕のポスドク経験を以下に紹介したい。

僕(通称:ヤス)のポスドク経験談

海外で研究生活を送ることは、僕にとって高校時代からの夢だった。博士課程の最終学年の時に、いくつかの海外のラボに手紙を送り(当時Eメールはなかった)、最も好意的な返事をもらったベルリンのMax-Delbruck-Center(MDC)研究所のWalter Birchmeier博士のラボを選んだ。その時、面接をすることもなくポスドク生活を送るラボを決めたのは、慎重さを欠いた行動と非難されても仕方ないかもしれない。ラボに到着し、ポスドクとしての初日。ラボのメンバー8名と一緒に、研究所の食堂でのランチタイム。その時、一人の大学院生から尋ねられた。
「それにしても、どうしてこんなラボに来たんだ?」
「ん?どういうこと?」
「ボスのWalterはほとんど面倒を見てくれないし、ポスドクのほとんどはPIになれずに死んでいるよ。」 「ええっ!!!??? 本当に?えらいこっちゃ。」
面接を受けず、PIに会うこともなくラボを決めたことをいきなり初日から後悔した。

ラボは、学部生・大学院生12名、ポスドク10名という大所帯。ボスのWalterは、「ラボからNature, Cell, Scienceなどのビッグジャーナルに1年に1報論文が出れば、それでいい。論文を出すことができないメンバーがいてもそれはそれで仕方ない。」とラボメンバーが凍りつくような言葉を平気で言い放つ人だった。同じプロジェクトを複数のメンバーが同時に行うこともある、非常にcompetitiveで厳しい環境。実際に僕も、ポスドク1年目の最初は、大学院博士課程3年の女子学生と同じプロジェクトを与えられた。ラボで強い影響力を持っていた彼女は、僕をライバル視し、ラボの大学院生やポスドクの数人を味方につけた。ラボの中に反目するグループが存在する状況、本当に最悪だった。アウェー感が半端なかった。
そこで悩みに悩んだ末に、僕はWalterに頼んで、プロジェクトを僕のアイデアに基づいた新たなものに変えてもらった。日本から留学奨学金を持参していたこともあり、ボスにそのような要求を言いやすかったのは良かったと思う。しかし、このプロジェクトの選択が、その後、僕を苦境に陥れた。僕が提案したプロジェクトは、『レセプターチロシンキナーゼErbB2の抑制型リガンドの探索』。ErbB2は、乳がんなどで発現が亢進するがんタンパク質である。当時ErbB2は、リガンドがまだ同定されていないorphan receptorの一つであった。数多くの研究者達の試みにも関わらず、活性化型リガンドが同定することができていなかったことから、
「もしかしたら活性化型リガンドではなく、抑制型リガンドが存在するのではないか?」
と言う大胆な仮説を立てた。もし、そのような抑制型リガンドが見つかれば、生物学的な大発見であるだけではなく、臨床的にも治療にそのまま応用することができる。
「よしっ、絶対に見つけてやるぞ!」
強い情熱を持ち、プロジェクトを開始した。まず、内在性のチロシンキナーゼを持たない酵母を用いて、抑制型リガンド同定のための新たなスクリーニング系を立ち上げた。世界的にも抑制型リガンドのスクリーニング系が確立していない状態での新たなチャレンジ。予想しなかった困難にも出くわし、予定していた以上に、この第一段階に時間を要した。実験条件の様々な最適化を経て、約2年間の歳月をかけ、スクリーニング系が完成。さあ、いざ、スクリーニングだ。しかし————。当たりが取れて来ない。来る日も来る日もスクリーニングを重ねるが、暗室の中でネガティブデータを目の当たりにして虚空を見つめる日々。どうして取れないのか。スクリーニングがまだ足らないのか?いや、計算上は、もうcDNAライブリーを飽和するくらいスクリーニングは、やりきっているはずだ。それでは、そもそも抑制型リガンドが存在しないのではないか?スクリーニングを1年間やり続けたが、ネガティブデータの連続に暗澹たる状態。ポスドク生活を3年間過ごしながら、未だにノーデータ。当然、ボスおよび周囲のラボメンバーからの評価もどんどん落ちていく。どうしたらいいんだ!?
「このまま、ドイツで朽ち果てていくのか」
という不安で眠れず、胸の底が鉛のようにずっしりと重たくなっていく。そして、ある日、このプロジェクトを諦めて、他のプロジェクトに切り替えるという決断を下した。これまでの3年間の努力が水泡に帰す、という状態は堪え難いほど辛く、身を切られるような思いだった。しかし、このままでは研究者としてのキャリアが失敗のまま終わってしまう、という焦燥感から背に腹はかえられぬ、本当に辛い決断だった。
新たに取り組んだのは、細胞間接着タンパク質E-カドヘリンにリン酸化特異的に結合するタンパク質を酵母ツーハイブリッド法で同定するというプロジェクト。既存の酵母ツーハイブリッド法にリン酸化を掛け合わせるオリジナルなシステムを開発し、スクリーニングを開始。今回は幸運なことに、スクリーニングを開始してすぐに新規結合タンパク質を同定することができた。Walterからの的確なアドバイス(分子のドメイン構造から「この分子はユビキチンリガーゼではないか」と見抜いた)もあり、機能解析も順調に進んだ。同定した分子が、E-カドヘリン複合体を分解し、細胞間接着を破壊する機能を有することを示し、その分子を「Hakai」と命名。プロジェクト開始後、2年余りで論文投稿まで漕ぎ着けることができた。Cellにリジェクトされた後、Nature Cell Biologyに投稿。3ヶ月のリバイスを経て、アクセプトを得ることができた。
プロジェクトの選択を誤ると時間の大きなロスを招くことを、経験を通じて身をもって実感することができた。結局、現在に至るまでErbB2の抑制型リガンドは同定されておらず、『存在しない分子の同定を目指す』という、ポスドクが専念するには無謀な賭けに膨大な時間を無駄に費やしてしまったようだ。

本当に厳しく辛い日々を過ごしたが、その中で様々なことをポスドクの5年半の間に学ぶことができた。
*どんなに頑張ってもうまくいかない時の研究者の悩み、苦しみ。
*プロジェクトの選択が本当に重要。
*プロジェクトがうまくいかないときに止める決断が肝要。
*ポスドクのハードワークとPIの適切なアドバイスが噛み合った時、プロジェクトは飛躍的に進展する。
このようにポスドクで苦しみながら学んだことは、その後PIになってからも、研究プロジェクトの選別やラボメンバーの指導などに、大いに生かされている。

Walterはとても厳しいボスだった。能力の低い学生、データが出ないポスドクに対しては、容赦なかった。でも、ポジティブデータが続き、論文に近づいてくると、的確なアドバイスによってプロジェクトをどんどん進展させていった。本質的で面白いサイエンスを追求し、妥協を許さないところがあった。また、質の高い論文のみを発表するべきだという強い信念があった。
最初は完全な放任主義に戸惑い、3年目まではほとんどデータがなかったので辛かったけれど、束縛されるのが嫌いな僕にとっては、放ったらかしのスタイルは合っていたのかもしれない。
ポスドク4年目を過ぎ、Hakaiのプロジェクトがうまく行き始めた時、それまで全く論文がなく焦っていた僕は、
「これまでのデータをまとめて、ひとまずXXXX(インパクトファクター5くらいの科学雑誌)あたりに投稿したい。」
とWalterに訴えた。すると彼は、
「ヤス、お前はPIになりたいのだろう?PIになるために必要なのは、ビッグジャーナルの論文だ。XXXXを1報もっていても何の役にも立たない。逆に、しょぼい仕事しかできない研究者だと低い評価をもらうことになる。焦らずに腰を据えて、もっと上を目指して戦いなさい。」
と僕の目を見つめて語った。その時は判然としない思いを持ったが、彼のアドバイスが正しかったことをその後、肌身で感じることになった。5年半のポスドク生活で得た業績は、Nature Cell Biologyの論文1報だけだったが、最終的に、ロンドンのMRC研究所でテニュアトラックのグループリーダーポジションを獲得することができた。(少なくとも海外では)PIになるのに必要なのは、10報のマイナーな論文ではなく、1報の大きな論文である。その現実をWalterから教えてもらった。
また、論文を書く時にWalterのラボでは、WalterとFirst authorがPCの前に座って一緒に、Introduction, Results, Discussionを書く(タイプする)スタイルだった。最初は「恐ろしく長く時間がかかるのではないか」と懸念したが、実際にやってみるとWalterと僕のアイデアが相乗的に昇華され、非常に効率よく文章を紡ぐことができるのに驚いた。HakaiのNature Cell Biologyの論文も2日で書き終えることができた。また、その際にWalterから英語の書き方や論文の論理の構成法など彼のやり方を細かく教わることができたのもありがたかった。今、僕のラボ(ヤスラボ)でもその方式を踏襲し、僕とFirst authorがside-by-sideで座り、僕が彼らに色々なことを教えながら論文を執筆している。ポスドク時代にWalterから受け継がれた魂が、僕のラボメンバーへと継承されている。

また、ポスドク時代の環境が僕を大きく成長させてくれた。
ドイツでは、日本と比べると、研究者が思ったことをとてもダイレクトに相手にぶつける。時には、ひどく批判的に感じることも。プレゼンテーションをした後に、示したデータについて、辛辣に感じるほど強いコメントを受けることが少なくなかったが、質問者も特に悪気がある訳ではなく、自分の思ったことを素直にそのまま表出しているだけである。その時に、ひるむことなく、堂々と反論をする、あるいは的確に説明することが大切である。意見をぶつけあうことによって、互いの理解が深まり、時に止揚(アウフヘーベン)することができる。僕も、ドイツでの5年半で、自分の意見をしっかりと、滔々と英語で相手に伝える(時に戦う)能力を備えることができた。ポスドク時代の終わりに、ロンドンMRC研究所でのグループリーダーポジションを賭けた面接(2時間にわたるチョークトーク)でも、次から次へと厳しい質問が飛んできたが、しっかりと受け答えをすることができたのは、ドイツで揉まれ続けた貴重な経験のお陰だと思う。
また、ベルリンの研究所では、毎週1−2回、様々な分野の研究者が招聘され、セミナーが行われていた。ここで、自分の研究分野だけではなく、多岐にわたるサイエンスに触れることができたことも、僕の研究者としての幅を広げるのに大きな助けとなった。ポスドクを過ごす研究室のレベルが高いことに加えて、研究所や周りの環境も、ポスドクの成長のためにとても重要なファクターだと思う。

今振り返ってみても、ポスドク時代は、なかなか論文が出ずに苦しみ抜きながらも、PIになるための実力を蓄えた貴重な時間だった。まだまだ未熟だったけれども、必死で走り抜いた日々。そこには確かに、青春があった。僕の人生の流れの中でも、キラキラ光りながら、独特の色彩を帯びている。

読者に贈る言葉

本書では、インペリアル・カレッジ・ロンドンのポスドク開発センターで長年に渡ってポスドク支援に取り組んでいた著者が、ポスドクが直面する様々な問題に解答を与えてくれる。ポスドクだけではなく、ポスドクになる前の大学院生、助教・講師などのPI予備軍、あるいはポスドクの管理責任者であるPIなど、様々なキャリアステージにいる研究者にとって、大いに役立つ内容になっている。

心に残る金言も数多い
「ポスドクはキャリアではない」
「ポスドクは生涯の仕事ではない」(ポスドクとは次のキャリアに進むための踏み石。ポスドクとしての成功の基準の1つは次の仕事を見つけること。)
「キャリアの次のステップに求められるスキルと経験を強化し、発展させ、積み上げることを目指すべき」
「明確な目標を持って、ポスドクの期間にすること全てを将来の目標に寄与するようにすべき」
「複数のポスドクポジションに応募すべき」
「自分が博士号のために勉強した大学を離れることを勧める」
「失敗を抱きしめる」(ネガティブデータや失敗を受け入れ、最大限に生かす。)
「プランBを用意する」(自分のアイデアでサイド・プロジェクトを発展する。)
「自分のキャリアをコントロールする。誰もしてはくれない!」
「大学の壁の向こうには世界が広がっている」

ポスドクでも、能力、業績、キャリア、環境、目標などは十人十色。読者の皆さんが欲している情報やアドバイスも、それぞれ異なることだろう。でも本書は、研究プロジェクトの選択から、PIとの関係、フェローシップの獲得、履歴書の書き方、面接の心得、などポスドクとして必要な多岐に渡る項目を網羅している。ポスドクを始める前、ポスドクとしてしばらく経って行き詰まりを感じた時、あるいは、ポスドクから次のステップに移る時など、キャリアの様々なステップにおいて、悩めるあなたの助けになることだろう。僕も、ポスドクの時にこの本を読んでいれば、より成功したポスドク生活を過ごせていたかもしれないな。

最後に僕からあなたへメッセージを。

『高い目標を持って、前向きな気持ちで常に前進を』
サイエンスの道は厳しく、思い通りに行かないことは多い。プロジェクトが壁にぶち当たることもあるだろう。でも諦めずに、前向きに必死で頑張って、研究者としての能力を伸ばす努力を重ねていると、誰かが認めてくれ、新たな道が拓ける、そんなチャンスが増えていく。ポスドクは生涯の仕事ではない。次のステージに向けて、人生を賭けて存分に戦って下さい。心から応援しています!

updated : 2020/03/20