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YASUの呟き No. 01

樹の下で何を思う ~ロンドンの灰色の空を見ながら~

Medical Research Council, Laboratory for Molecular and Cellular Biology, University College London

藤田 恭之
実験医学 2008年2月号掲載

(ロンドンで職を得るまで)
80人の応募者に2つのポジション。その選考プロセスは今から思い出しても本当に過酷なものだった。特に、2回目のインタビューは全グループリーダーの前で研究プロジェクトの説明をする2時間のチョークトーク。批判的でアグレッシブな質問が矢継ぎ早に襲ってきた上にイギリス英語が全く聞き取れず、私のサイエンスのキャリアの中で最も厳しくつらい時間であった。あるグループリーダーは言った。「私にはあなたの研究のどこが面白いのかわからない」少し切れながら私は答えた。「この研究の面白さをわかる知能があなたに欠けているのは残念だ」場の空気が一瞬凍りついた。昼の底が白くなった――――。それだけに、採用の知らせを受けたときは簡単には信じられず、まさに天を彷徨う心持ちだった(私の友人たちは「ロンドンの奇跡」と呼んでいたようだが)。
そんな私がロンドンで自分の研究室を構えて早5年の月日が流れた。夢中でがむしゃらに駆け抜けたこの5年間、本当に色々なことがあった。
私のポジションは年間1200万円ほどの研究費と私と他3人のポスドクの給料が出るというもので、私のような若手のグループリーダーにとってはかなりいい条件だと思う。研究費の獲得についてはあまり苦労してこなかったのでここでは心を悩ませた他の問題点について述べたいと思う。

(ヨーロッパ人と日本人の文化・人生観のはざまで)
基本的に人間はみんな同じようなものだ。でも、実際ヨーロッパ人と日本人では考え方や価値観・人生観が時には大きく異なり、その違いに戸惑ったり苦しんだりしたことが度々あった。
日本の研究室では講座制が幅を利かせている事もあり上下関係はしっかりしている。大学院生などにとって教授が命じたことに歯向かうには若干の勇気を必要とする。一方、ヨーロッパでは人間関係はかなりフラットである。こちらでは、学生もボスをファーストネームで呼び、教授が示唆した実験を大学院生が衆前で激しく批判するなんてことも珍しくない。よってボスが人々をコントロールするのにAuthority(権威)は全く用をなさない。『 経験のある私の言う事を聞きなさい』、『僕の言う事をとりあえずやってみなさい。やっているうちに分かるから』 こんなことを言っていたら誰も研究室に来なくなってしまう。こちらでは、ボスのAbility(能力)とHumanity(人間性)という別のITYが部下を納得して働かせる鍵となる。まだまだ能力的にも人間的にも未熟な私には大きな課題である。また、個人主義が浸透しているのでみんな自分の意見をしっかり持っており(たとえ間違っていても)、自分が納得しない事はボスに言われても応じることはない。そのうえ、 文化的背景の異なる者同士で「以心伝心」なんてありえない。そういうわけで、よく物事が解っていない未熟な学生を納得させるためにディスカッションにかなり長い時間を費やさなければならないことも多々ある。 ボスには自分の部下とお互いに考えている事をぶつけ合い、しっかりとコミュニケーションをとることのできる能力が必要とされる。でもそこで大切なのは英語力なんかでなく、サイエンスにかける強い情熱と部下を思いやる心だと痛感する事が多い。

また、ラボを持った当初は自分の部下との仕事に関する価値観の違いに唖然とすることも多かった。日本人(の私)にとって仕事は人生を賭ける何物にも代え難い大切なものである。時には、1日に15時間以上働き、実験が忙しいときには多少家族を顧みる事も難しくなる。休暇もなるべく短くし、仕事に全力を注ぐのだ!それが日本人にとっての美徳。一方、ヨーロッパ人の価値観は全く違う。仕事はかれらにとっても(少なくてもある程度は)もちろん大切。でも、仕事外のプライベートな生活もそれと同じくまたはそれ以上に大切なのだ。トータルで人生を最大に幸せに生きる、それが彼らの人生観である。そんな彼らにとって、仕事に狂ったように働く人間は、人生の幸せをよくわかっていない可哀相な者なのである。私も、ヨーロッパに10年以上住んで彼らの人生観に少し傾倒しつつある。しかし、まだまだ日本人のメンタリティを有しているグループリーダーの私にとって、彼らの言動にイライラしたり思い煩うことは少なくない。1日に2回ティータイムに長い時間をかけてお茶を飲み(イギリスの伝統です)、午後6時を過ぎるとさっさと帰っていくラボのメンバー。午後8時には誰もいないがらんとした研究室。「ガールフレンドがブルーなムードなので今日はラボには行けない」なんて理由で働きにこない学生。これでどうやってアメリカや日本の長時間働くラボと競争していけるんや!?ロンドンで自分の研究室を持ち初めた当初、私は不安といらだちに焦燥感を募らせた。
ある時、そんな悩みと不満を当研究所の大先輩のMartin Raff先生にぶつけてみた。(MartinはMolecular Biology of the Cellというテキストブックのエディターをしていらっしゃる高名なサイエンティストであり、また人間性と慈愛に富んだ銀髪の老人である)Martinは私の不満をうなずきながら静かに聞いた後、私の眼をじっと見つめ穏やかに語った。『ヤス、お前は完全に間違っている。ここはイギリスだ。この国では、ラボで働くのと同じくらいリラックスしたりサイエンスに思いを寄せるのは大切な事なんだ。ヤス、樹の下でサイエンスに思いを馳せる、その時間の大切さをお前は分かっていない』 う~む。まさに、眼から鱗が落ちるとはこのことだった。ヨーロッパではアメリカや日本よりもゆったりと時間が流れている。そこでは、労働力に任せて他の研究室と激しく争うサイエンスではなく、オリジナリティを追求した他の追随を許さない研究を目指すべきなのである。長い時間働くことで自己満足していた自分を大きく見つめ直さなければならないことがよくわかった。樹の下で何を思い考えるか。私はまだまだ成長しなければならない。ラボのメンバーに少しだけムチを入れながら。

(おわりに)
サイエンスは世界どこでもできる。ただ、日本では、30代前半―後半の若手の研究者が独立して研究室を運営できるポジションはまだ多くない。海外で独立する事は上で挙げたような気苦労はあるが、様々なバックグラウンドを持った人々と苦楽をともにしながらサイエンスを進めていくその時間は、私にとってとても濃厚な人生の輝きとなっている。日本で頑張っておられる学生やポスドクのみなさん、海外で独立する事も一つのキャリアのオプションとして考えてみられては?

updated : 2010/05/14