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YASUの呟き No. 04

ヤスの呟きNo.4 とNo.5は私が臨床医時代に執筆したエッセイです。ちなみにサイエンスには関係ありません。
暇つぶしに読んで頂ければ幸いです。実は、この二つの他にも「小指の思い出」と「XXX喪失事件」というエッセイがあるのですが個人情報漏洩および教授としての品格を疑わせる記載が含まれているので掲載することができません。興味のある方は藤田研に入りましょう。

「ナマズ」

以前から放射線技師の人達に、何回か誘われていたのだが、この前の土曜日、患者さんの状態も落ち着いていたので、午後から釣りに出かけた。宮津市の由良川の河口で、技師の人達三人と、投げ釣りを楽しんだ。少し風が冷たかったが、雲は少なく、左手の砂地の向こうに海を見ながら、ゆったりと糸を垂れ、久しぶりに長閑な一時を楽しめた。昼過ぎは、全く当たりがなかったが、夕方になって、カレイ、スズキ、ウグイ、カニ(!)などが次々と釣れ出した。午後五時半頃より辺りは暗くなり始め、太陽は周りの山々と空と川面を茜色に輝かしく染めた後、ゆっくりと由良川の上流の方向に沈んでいった。我々四人は、枯木を集め、焚火を燃やしながら闇の中で釣りを続けた。頭上には満点の星々。田舎に来ると、星の美しさに何分間も口を大きく開けて立ち尽くしてしまうことがあるが、冬になると一層、星が近くに見えるように思える。
 釣竿に当たりがあった! リールをグルグル巻く。手応え十分。上げてみると体長三十㎝ほどの大きな魚。
「これナマズとちゃうか?」
「ほんまや、髭がはえてるわ。先生、変なものを良く釣るなあ」
 針を抜くとき、ナマズはかなり暴れた。かなりヌルヌルしている。
 周りの枯木をすべて焚火に燃やし尽くしてしまったので、夜釣りを終了し、帰途につくこととなった。彼らは、料理好きの私に、その日の収穫を全てプレゼントしてくれた。
 家に帰って、まず、スズキを三枚におろし、刺身にして食べた。美味。やはり釣れたてはうまい。次に、小麦粉を付けて、姿揚げにして食べていくこととした。カレイ、ウグイ、カニと食べていき、最後にナマズを食べようと手に取ると、なんと尾鰭をピチピチと動かすではないか!!
「水に付けずに二時間もおいていたのに生きてるなんて、おまえは根性の入ったやっちゃなあ」
 ナマズの顔を見ると口をパクパクさせて、エラを開閉させている。ナマズと目が合った(?)。髭が何ともユーモラスで可愛い。姿揚げにする気が失せてしまった私は、風呂に水を張って、その中にナマズを入れてみた。水に入ったナマズは、スイーッと泳いで止まった。エラを動かしながらジッとしている。私は無性に嬉しくなってしまった。その夜は、寝るまで何度も風呂場に行き、ナマズが、前に見たときと場所を変えているのを見ては、
「生きてる、生きてる」
と呟きながら、ニンヤリと笑っていた。
 翌朝、私は飛び起きて風呂場に直行した。ナマズは、じっと動かずに佇んでいた。が、よく見てみるとエラをパタパタと動かしている。
「生きてるやないか!」
 ナマズは生きていた。風呂桶の中に命はひっそりと息づいていた。私は、この寂しい一軒家に、自分以外に生き物が存在していることが、とても嬉しかった。その日は日曜日であり、病院で一通り入院患者さんを診察し、カルテを書いた後、釣具店でゴカイを買って家に帰った。ナマズは生きていた。滅多に動かないが、生まれつきおとなしいのか、環境が変わったため警戒しているのか。時々、水面に浮かんできては、口をパクパクしている。
 この寒い舞鶴で、いつまでも風呂場をナマズに譲ってやる訳にもいかないので、私はどこに移そうか考えに考えた末、妙案を思い付いた。私はビールや卵などを取り出し、冷蔵庫を真横に倒した。扉がピッチリとしまらないように、厚紙を重ねて扉の間に挟んだ。そして、冷蔵庫の中に水を注ぎ入れた。これで、夏でも冷蔵庫にスイッチを入れることで、冷たい水の中で泳いでもらうことが出来る。オールシーズン型の素晴らしい水槽だ。私は風呂桶の中のナマズを冷蔵庫に移そうと手で捕まえにかかった。どうだろう! ナマズの動きの俊敏なこと! 手の間をスイスイと泳ぎ回り逃げまくり、手掴みを不可能だった。
「元気なんだ!」
 私は笑いながら満足してうなずいた。結局、洗面器を使って、ナマズの移住に成功した。ナマズはすいーっと製氷棚のところまで泳ぎ、その蔭のところでじーっとしている。私はゴカイを三匹冷蔵庫に入れてナマズの様子を窺ってみた。動かない。
「見られているのが分かるのかな?」
 扉を閉めて、その隙間からそっと覗いてみた。やはり動かない。結局その日は製氷棚から全く動かなかった。
 翌日、出勤前に冷蔵庫を開けてみた。ナマズは、中央に座を移し、そして、ゴカイは三匹とも姿を消していた。私は、朝・昼兼用のゴカイを二匹冷蔵庫の中に入れ、
「ナマズちゃん、行ってくるよ」
 と声をかけて出かけた。(名前をつけてやらないと・・・)そんなことも考えるようになっていた。
その夜、またもや二匹のゴカイは姿を消していた。ナマズは計五匹のゴカイをその腹に収め、エラをパタパタさせながら水の中でゆったりと時を過ごしていた。少しエラをパタパタさせるのが速くなっている様な気がした。
 翌日の晩は、病院の救命救急部の当直だった。一才児の細菌性髄膜炎など重篤な患者が多く訪れ、殆ど一睡もできなかった。その次の日も、勤務は終日ハードで帰途につくときにはもうクタクタになっていた。ハンドルを握りながらも、二日ぶりにナマズに会えるのが、とても待ち遠しく思えた。自分の中でナマズの存在が、少しずつ大きくなっているのがよく分かった。
 家の鍵を開け、中に入ると、空気に少し濁った変な臭いが混じっているのに気がついた。ゆっくりと台所に行き、恐る恐る冷蔵庫の扉を開けてみた。
 ナマズは死んでいた。白い横腹を上にして、二本の髭はダラリと水中に漂っていた。半ば腐乱したように、白いモヤモヤとしたものが、ナマズの体を包んでいた。指で体をつつくと、ナマズは水面の上を少し移動した。白いモヤモヤが少しだけ体から離れ、水の中に溶けて行った。
もう命はそこにはなかった。ナマズの横顔は完全に死顔になっていて、何とも言えず、心に迫るものがあった。
 次の早朝、ナマズをビニール袋に入れ、外に出た。外は凍てつくような寒さだった。私はビニール袋をギュッと握りしめ、猫背で暗いアスファルトの道を歩いた。丁度、太陽が、山際から姿を現し始めており、東の空が、赤紫色にゆっくりと、明るみだしていた。竹林に陽が射し始め、朝もやがぼんやりと薄くなっていった。私は、朝日を背にしながら、田圃の間の畦道を下りていって、川の辺でビニール袋を解いた。ナマズを手に取り、ゆっくりと流れの中につけた。ナマズは、私の手を離れ、そろそろと流れていった。そして、クルクルと、少しきりもみ状に回りながら流れていき、そのうち見えなくなってしまった。
 朝日に向かって帰途についた。汚い水の入った横向けに倒れた冷蔵庫のある、寂しい家に向かって。

updated : 2010/10/08