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YASUの呟き No. 12

ニジェール川船旅 ―黄金の街トンブクトゥを目指して

医学部を卒業後、医師国家試験の合格発表までの数週間、僕は東アフリカ(ケニア、タンザニア、マラウイ)を旅した。キリマンジャロ登山(雪が降り積もる悪条件の中、登頂に成功)、ナショナルパークでのサファリ(輝く南十字星と降りしきる流れ星)、ザンジバル島(東インド洋に浮かぶタンザニア領の島:信じられないくらい美しいビーチ)など刺激的な旅程であったが、何よりも僕を魅了したのは、人々の素晴らしい笑顔とそこでゆっくりと流れる時間だった。すっかりアフリカに魅せられてしまった僕は、臨床医として3年間勤務を終えてから大学院生活を始めるまでの5ヶ月間を再びアフリカで過ごした。ウガンダ~(飛)~エチオピア~(飛)~セネガルガンビア~(再び)セネガルマリブルキナファソコートジボアールガーナ~(飛)~ジンバブエ~ザンビア~(飛)~ナミビア~(飛)~南アフリカ~(飛)~(再び)ジンバブエ~(飛)~モーリシャス。この旅は本当にエキサイティングで思い出深いものとなった。中でも最も過酷で強い印象を残したのがマリでの旅だった。サイエンスには何の関係もないが、僕自身の人生に対する考え方や哲学に大きな影響を与えた旅の一部の紀行文を紹介したい。皆さんの暇つぶしになれば幸いです。当時に記した文章をほぼそのまま転記しました。所々、教授としては適正でない記載もあるかもしれませんが、書いているのは(当時)27歳の若者なので御容赦ください。旅のルートはGoogleマップでマリのモプティからトンブクトゥまでニジェール川を辿ると感じが分かって頂けると思います。

* ニジェール川船旅 ―黄金の街トンブクトゥを目指して

最初の予定ではウガンダで医療ボランティアを1ヶ月した後、東アフリカをさまようつもりだった。でも出発の数日前に、最初のアフリカ旅行で知り合った友人のマサと彼のアパートで安酒をあおっていた時に、彼が言った。「西アフリカのマリにはトンブクトゥという黄金の街があるらしい。」
『黄金の街トンブクトゥ』。なんて素晴らしい響きなんだろう。調べてみるとトンブクトゥは14-15世紀にかけて、マリ王国時代にサハラの通商を通じ、西アフリカの金(ゴールド)と北アフリカの塩の交易で繁栄を極め、黄金都市と謳われ、多くの探検家たちの心を奪い続けた街であるそうだ。これはもう行くっきゃないでしょう!と言うことで、西アフリカに足を向けることとなり、トンブクトゥ探訪が今回の旅の大きな目標の一つとなった。

セネガルの首都ダカールから汽車に揺られること36時間(この汽車での旅の間も色々とあったなあ)。マリの首都バマコに着いた(当時日中最低気温42度)。早速、バマコの安宿でトンブクトゥにはどうやって行ったらいいのか情報収集に努める。しかし、誰も知らない(えらいこっちゃ)。ようやくバマコ滞在3日目に、宿で知り合ったマリ人から「以前は比較的大きな船でモプティ(マリ第2の都市)からニジェール川を航行してトンブクトゥの近くの街まで行けたが、現在は川の水位が下がってしまったので船では行けないと思う。」というショッキングな情報を得た。「とりあえず、モプティに行って尋ねてみたらどうか」と言うことで、小さなマイクロバスに8時間ほど揺られてモプティに到着。モプティに着いてみると、ニジェール川の畔に大型の船を発見。しかし、バマコで聞いていたように、現在は川での航行はできなくなってしまったために、「ボートホテル」になっていると。陸路で行くしかないのか。ボートホテルにチェックインして荷物を置いた後(このボートホテルの部屋は死ぬほど暑かったなあ。宿泊客は僕一人で、夜も暑かったので結局甲板で寝たっけ。)、マーケットや飲み屋などをうろついて「トンブクトゥにはどうやって行くのですか?」と足を棒にしてフランス語で尋ねまくるも、全く情報が得られず。途方に暮れたまま、夕方にボートホテルへ戻る。するとその日の晩、そんな僕の噂を聞きつけたのか、口ひげを蓄えた細身の男がボートホテルを訪ねてきた。
「ニジェール川を上ってトンブクトゥに行くボートが明日あるけど乗らないか?」
『ニジェール川の船旅』。ああ、なんて甘美な言葉の響きだろう。
「でも乾期だから、船はないって聞いたけれども。」
「大きな船は運航できないけれども、小さな船でトンブクトゥの近くのカバラという川沿いの街に行く船が一艘だけあるんだ。」
小さい船か。。。どれくらいの大きさなんだろう。
「トンブクトゥにはここから何日くらいかかるんだ?」
「だいたい4-5日だ。」
うーん、結構かかるなあ。
「金はいくらだ?」
「7万5千CFAだ。」
そんな大金はとても払えない。
「とにかくまず船を見せてくれ。」
男に連れられて、船着き場まで歩いて行く。指差された船は。。。。。これは小さいなあ。しかも汚い。一応モーターは二つついている。長さは20メートルくらいあるが、幅は1メートル半くらいの細長い船。日本で言うと小さな遊船といったところか。もちろん平屋である。この船で4、5日は少しきついかなあ。でもニジェール川の船旅の魅力には勝てない!!激しい値段交渉の末、食事付き(水なし)で3万CFAまで値切って交渉を交わした。

翌日(日曜日)午後5時船出の予定だったので、午後4時頃荷物を背負って(飲み水を10リットル用意した)ボートホテルを後にし、船着き場に向かった。うわあ、たくさん乗っているなあ。もうすでに、小さいボートには多くの人が乗り込んでいる。30人近くはいるなあ。交渉した男との話はすでについており、キャプテン(船長)のサングラスをかけたおっさんの手引きで、船の中に誘導してもらう。船は一応、敷居で3畳くらいのスペース4つに分けられており、その3畳くらいのスペースに人が7-8人ひしめいている。僕の割り当てられた3畳間には赤ん坊を抱いたオバさん、白いターバンを巻いたオジさん、何かの制服を着たオジさん、5歳くらいの可愛い男の子、ラジカセを持った少年(このラジカセはうるさかった。。。)と僕の計7人だ。皆が、何とか肌寄せ合い、足を伸ばすともうスペースがない。これで3万CFAは高いなあ。

午後5時出航の予定だったが、出航間際に岸辺で男達が口論を始め(何で西アフリカでは乗り物の出発間際にこんなに頻繁にトラブルが起こるのだろう?)、結局船出したのは日もとっぷり暮れた10時頃だった。船は闇の中、小1時間ほど運行した後、小さな村の岸辺に止まった(夜は基本的には運行しない)。今日はここで運航終了ということで、船上で身を横たえる。床には固い俵のようなものが敷き詰められており、ゴツゴツして非常に寝心地が悪い。船幅が狭く、足も十分に伸ばせない。こんな状態で寝れるんかいな、と思ったが、知らないうちに深い眠りについていた。

夜が明けた。午前6時頃、船出だ。船はゆっくりと川面を滑って行く。配給される食事は、朝は甘いカフェオレとまずいパン(ちょっと食えたもんじゃない。しかもこの後、日に日に固くなっていく。)、昼と夜は魚のぶっかけご飯(こればっか!日に日に腐ったような匂いがしていく。)、間食に木の実とニンジン(驚くことに木の実の3分の1くらいに大きな白い幼虫が入っている。さらに驚くべきことに向かいのオジさんはその虫を嬉しそうに食べている(虫入りは当たりのようだ)。しばしば当たりを引いた僕の虫もオジさんにあげました。)。まあ生きていくのに不足はない。
トイレは船尾に穴が一つだけ空いており、川の水がジャブジャブと穴から出たり入ったりしている。尻を出して穴の上にまたがる。ふと視線を感じて後ろを振り向くと乗客全員がこちらを凝視しており、僕が振り向くと同時に皆一斉に視線をそらす。やはりこれまで見たことのなかった日本人の排便には興味があるらしい。排泄された便は粉々になり、水中に吸い込まれていく。排便後は川の水で尻を洗う。人に見られることに慣れさえすれば、なかなか快適だ。

川は所々に浅いところがあり、時々船が浅瀬に乗り上げるが、櫂を使ったり、向きを変えたりして何とか乗り切る。船上には涼しい風も時に吹き渡り、屋根のおかげで日中もさほど暑さは感じない。船からの眺めは素晴らしいの一言。絵になる光景が次から次へと繰り広げられている。川幅は30-500メートルくらい。両岸は険しく切り立った崖のようになっており、所々、木や草が生えている。川面をかすめ飛ぶ水鳥たち。小舟で漁をしている男たち。岸に並び洗濯をしている女たち。岸辺の草を食んでいる牛や馬の群れ。遠くに見える茶色の小さな村落とモスク。次々と展開される景色を見ているだけでも退屈することはない。
途中の村から小舟で若く美しい少女が乗り込んできて、僕の向かいに座った。パッチリと大きな眼。瞳が美しい人だ。唇はバラの蕾のように柔らかく突き出ている。髪を後ろに束ね、その上からスカーフを巻いている。思わずその美しさに見とれてしまうと、彼女も僕の視線を感じたのか、こちらをじっと見つめる。その後も視線が合い、お互いに意識しているのが感じ取れた。夜になって横たわると頭上には満天の星々。川の水が船体に打ち寄せる音を聞きながら、そっと目を閉じる。少女が隣に横たわり、その体のぬくもりがほんのりと伝わってくる。久しぶりに女の肌のぬくもりを感じながら眠りにつく。

三日目の昼に川は一旦広い湖(両岸まで数キロメートル。後日Google Mapで確認したところデボ湖という比較的大きな湖だった。当時はマリの地図を持っておらず、どこを航行しているのかさっぱり分からなかった。)のようになり、水面が急に浅くなった。水が浅瀬に乗り上げたため、男たち(僕も含む)は船を降り、船体を押して川底を歩く。川底はヌルヌルとした泥地だ。女たちは船ベリに腰掛けて歌を歌っている。この間船体に浸水してきたため、男の子がしきりに缶で水を掻き出している(心配したが特に大事にはいたらず)。一時間ほど船を押した後、ようやく船は難所を脱した。
思いの外、旅は退屈もせず快適だった。日中はボンヤリと景色を眺めたり、ゴロリと昼寝をしたりして時を過ごす。船が途中の村に止まると女たちは船を降り、岸辺で水浴を始める。つい少女の方に目を向けてしまう。「女の水浴び」、男のロマンか。少女の胸は豊かではち切れそうだ。女性の裸体の美しさを再認識してしまう。
晩になると船は近くの村に錨を下ろし、そこで夜を明かす。どこの村でも夕方になると、太鼓を叩き、皆で歌いながら踊っている。それが村人にとって一日のうちの大きな楽しみなんだろうなあ。村人皆が火を囲んで楽しそうに語らっている。ああ、彼らの笑顔の素敵なこと!広い歯を剥き出しにして、体全体で心から楽しそうに笑う。全然お金を持っていない貧しい人でも、語らってはしょっちゅう賑やかに笑う。幸福って一体なんなのだろうな、とアフリカに来て思うことが多い。豊かな日本で、彼らほど楽しそうに毎日を送っている人がそれほど多くいるだろうか?経済的に豊かになることが、常に幸せにつながるとは限らない。自分の心持ちが幸せを決めるのだ。周りの縛りや慣習に囚われることなく、自分の思いや気持ちに素直に従って生きていきたい。そう強く感じ始める自分がいた。

5日目の朝、船長に、「今日カバラにつくのか?」と聞くと、「明日だ。」と答えが返ってきた。5日目に入り、さすがにそろそろ船旅に飽きてきた頃なので少々うんざりする。その日、乗客は途中の村々で次々と降りていき(少女とも別れを交わす)、残るは僕も含め3人だけになってしまった。3畳間に一人で横たわる。人が大勢いた時は窮屈でしんどかったが、一人になってしまうと、何だか寂しい。
6日目の朝、新展開が待っていた。一時間ほど運航したところで、一人が降り、残りはいよいよ二人になった。「ああ、そろそろ旅も終わりかな。」と思っていたところ、船は別の小さな船に横付けし、船長が小さな船の主と何やら話している。「ん?一体どうなっているんや?」と嫌な予感。
そして、船長が彼にお金を渡した後、2人の乗客に船を乗り移るように指示した。どうやら乗客が少なくなってしまったので、僕たちは別の船に売り渡されてしまったようだ。そして、5泊6日した船は向こうの方へ行ってしまった。唖然。
今度の船は、前の船の半分ほどの大きさで、屋根もついていないし、モーターもない。たくさん積んであるゴツゴツした荷物の上に座らされる。居心地が悪いことこの上ないが、まあ今日一日だけのことだから辛抱するか。船首と船尾に男が一人ずつおり、それぞれ棹を使って船を進めていく。すなわち人力船。その進みの遅いこと!!川の流れに逆らって進んでいることもあり、歩くよりもずっと遅い。時速2-3キロくらいか。不安に襲われた僕は、船首の男に尋ねてみた。
「今日カバラに着くのか?」
「明日だ。」
ガーン。どうも簡単には事は進んでくれない。大きくショックを受け悲しんでいる僕を同じく売り飛ばされたソンガイ族のオジさんが慰めてくれ、木の実とパン(おそろしくまずい)をくれた。あまりに進みがノロいので、度々オジさんと一緒に船を降り、岸辺を暫く歩いてから船が来るのを体育座りで待つ。
この船はどうやら二つの家族によって運航されているようで、船の真ん中が祠のようになっており、そこにおばさん二人と小さな子供が収まっている。甲板の僕たちには日中は直射日光が照りつけるため、とてつもなく暑い。もう予定の日程を超過してしまったため、持参したミネラルウォーターが底をついてしまった僕は、ニジェール川の水を飲むまでに堕ちてしまった。
その日の晩、船は岸の近くに錨を下ろし、我々は岸の上で一夜を過ごすこととなった。その日の夕食はやはりぶっかけご飯。汁が、腐った魚のような匂いがし、この世のものと思えないほどまずい。涙を流しながら死ぬ思いで「生きていくためなんだ」と自分に言聞かせながらほおばる。砂地の上で寝袋にくるまる。夜になると日中とは打って変わって、体の芯から冷え込む。星空は美しく、時に流れ星が尾を引きながら落ちていく。流れ星に3回願いを唱えれば望みが叶うというが、あっという間に消えてしまうので願いを唱える暇もない。一体今、自分はどこにいるのだろうか?本当にトンブクトゥに向かっているのか?この旅が終わったら日本に帰ることができるのだろうか?流れ星を見つめながら大きな不安に潰されそうになる。夜中に寒さで目を覚ますと星が移動しており、目の前に北斗七星が光っていた。

翌日も船は相変わらず遅く、日差しは強い。昼頃、「今日こそカバラだろうな?」と聞くと、「カバラは翌朝だ。」との答え。
「もう嫌だ-!」とつい大声で駄駄をこね、嘆いてしまう。
ソンガイ族のオジさんが、「辛抱辛抱。泣くんじゃない。」と優しく慰めてくれる。もうカバラに着くような気がしなくなってきた。荷物の上に横になり、ボンヤリと流れ行く景色を眺める。隣でオジさんが節の聞いたコーランを歌っている。
夕方、船長から、「ニジェール川の水位が低いためカバラまでは行くことができないので、手前のコロヨミと言う村で降りてくれ。」と言い渡された。コロヨミには明日には着くだろうとのこと。「コロヨミという村からトンブクトゥまで車はあるのだろうか?」という強い不安が残る。でもどうなってもいい。この船旅さえ終わってくれれば。

8日目の朝を迎えた。船は一時間ほど運航したところで止まってしまった。男たちは船から降りて岸辺でゴロ寝。女たちは歌いながら米を臼で突き始めた。
「おいおい、朝からどうなってるんや?」
3時間ほど待っていたが全く動く気配がないため、ついに堪忍袋の緒が切れてしまい、
「一体、何で働こうとしないんだ!」と強く問うてみると、「風が強いからだ。」との答え。なるほど、確かに向かい風が強く、川の流れも早い。人力のこの船では進みそうにない。彼らの事情も知らずに、一人でプンプン怒っていた自分が少し情けなくなる。それにしてもアフリカの人のペースは本当にゆっくりしている。せわしない日本でも特に『いらち』だった僕は、なかなかこのペースに慣れることができず辛かった。でも「郷に入れば郷に従え」。生きてさえいれば何とかなるさ。彼らとともに草の上にゴロリと横になり、「もう少しノンビリ行こうぜ。」と自らに呟く。
昼過ぎにようやく風も弱まってきたので、出発。そして数時間後、船首のオジさん(この船、そして家族の主人)が僕にニッコリ笑いかけ、行く手に見えてきた小さな村を指差して、
「あれがコロヨミだよ。」と言った。
ああ、ようやく、ようやく船旅が終わる。何とも言えない思いがドッと押し寄せてくる。船の上に立ち、近づいてくるコロヨミを見つめる。船旅は終わった。結局7泊8日の長い船上生活だった。

船を降りて、岸に降り立つ。船の皆さんとソンガイ族のオジさんと抱き合いながら別れを告げる。長い時を一緒に過ごしすっかり仲良くなっていたご主人とオジさんが、「ヤスがトンブクトゥ行きの車に乗るのを見届けたい。」と言ってくれた。不安でいっぱいだった僕は本当に泣きたくなるくらい彼らの情けが嬉しかった。村に入って、村人に聞いてみたところ、
「車は1-2日に一台通り過ぎるけど、トンブクトゥに行くかは分からない。」とのことだった。一難去ってまた一難。仕方ない、待つか。村の広場で来るかどうか分からない車をひたすら待つ。オジさんたちも一緒に待ってくれた。また事情を聞いた村人も、大いに不安げな日本人に同情してくれて、「なんとかなるだろう」などと言ってくれる(すべてソンガイ族のオジさんの通訳による。ちなみに、マリの国では英語を話せる人は非常にまれ。ソンガイ族のオジさんがフランス語を話せたので小船の皆さんや村人との会話も通訳してくれて本当に助かった。片言のフランス語しか話せなかった僕だが、長旅で鍛え上げたボディランゲージも大いに役に立った。)。待つこと3-4時間。村の子供たちが急に叫び声をあげてこちらに走ってきた。彼らが指を指すところを見ると、向こうから砂煙を上げてピックアップが近づいてくる。僕、オジさんたち、村の人々、子供たち、皆が歓声を上げて車に走り寄っていった。すると、ピックアップは襲われたと勘違いしたか、急に進路を変えようとした。でも、恐ろしく足の速い少年がほとんど轢かれかけながらピックアップを止めてくれた。村人たちは踊りながら大喜び。
走りながら近づいてみると、かなり驚いた表情の白人が一人運転席にいた。
「Hi、トンブクトゥまで連れて行ってくれないか?」と縋るような気持ちで聞いたところ、彼は少し考えた後、
「カモン!」と車のドアを開けてくれた。やったあ!!!オジさんたちと固く抱擁して別れを惜しむ。ああ、本当に心が温かくて親切で素晴らしい人たちだった。村人とも握手握手で感謝。助手席に乗り込み、手を振りながら小さく遠ざかる彼らと別れを告げた。
白人はスロベニア人でNGOで働いているとのことだった。トンブクトゥとは全く逆方向に行く途中だったが、親切に僕を1時間ほどかけてトンブクトゥまで送ってくれた。道々色々な話をしたが、彼も本当にいい人だった。

砂漠の中の黄金の街トンブクトゥ。長い船旅の末に辿り着いた僕には本当に輝いて見えた。

今でも目を閉じると、船の上でオジさんが歌っていたコーランの響きが耳の奥でこだましている。

(後日談)
トンブクトゥに着いた日の晩、「日本人が来た」という噂を聞きつけて、「サヘルの会」というサハラ砂漠で植林活動をしている日本人二人がホテルを訪ねてくれた。
「ようこそトンブクトゥへ!」
「いやあ、長い船旅でしたわ。」
「船旅!!!?」
「えっ、船以外で来ることができるんですか?モプティからバスとかなかったようなんだけど。」
「飛行機がありますよ。トンブクトゥ空港があるので。」
ガーーーン!!!

帰りは飛行機で、30分でモプティ空港に着きました。

updated : 2015/04/09