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YASUの呟き No. 19

北海道大学を去るにあたって

この原稿は、北海道医学会の依頼で「退任の挨拶」として執筆したものです。
ですので、ヤスの呟きとしては、若干、硬い内容になっております。

 北海道大学 遺伝子病制御研究所 分子腫瘍分野の教授として、2010年4月から2020年6月まで、研究・教育に励んで参りました。この度、母校である京都大学 医学研究科 分子腫瘍学分野に着任するにあたり、北海道大学を退任することとなりました。北海道大学の皆様には、この10年間、本当に色々とお世話になりました。この紙面をお借りして、皆様に感謝の意を捧げるとともに、北海道大学での充実した研究・教育生活を振り返りたいと思います。

 2010年に北海道大学に着任するまでは、ベルリン、ロンドンで合計14年間を過ごしておりましたので、久しぶりの日本への帰還でした。ロンドンでは8年間、MRC, LMCB研究所でグループリーダーとして研究室を主宰しておりましたが、イギリスで獲得していた研究費を日本で使うことはできず、北大着任直後には、研究費ゼロ、学生ゼロというまさに裸一貫でのスタートでした。幸い、着任してからしばらくして、内閣府主導の最先端・次世代研究開発プログラム(2010-13年度)に採択され、大型の研究費を得ることができました。共焦点顕微鏡・遠心機・ゲル撮影装置などの機器を一通り購入し、研究室の立ち上げをスムーズに行うことができたのは本当に幸運だったと思います。これによって帰国後の研究を軌道に乗せ、事後評価でS(特に優れた成果が得られている)を獲得することができました。それに引き続き、新学術領域(研究領域提案型)細胞競合班(2014-18年度)を領域代表として獲得することに成功しました。自らの研究を推進するとともに、我が国における細胞競合研究の開拓・発展に尽力いたしました。細胞競合を冠した国際シンポジウムを世界で初めて主催するとともに、計画研究、公募研究などを通して多くの研究者を本領域に参入させ、細胞競合研究分野の裾野を広げることができました。これによって、日本の細胞競合研究は飛躍的に発展を遂げ、多くの研究成果を挙げることに成功し、我々の研究活動は世界的にも注目を集めています。事後評価では、A+(研究領域の設定目的に照らして、期待以上の成果があった)を得ることができました。

 それでは、北海道大学において、私の研究室でどのように細胞競合研究を発展してきたかについて、御紹介いたします。細胞競合は、隣接する正常細胞と変異細胞が互いに生存を争う現象です。もともとはショウジョウバエで発見された現象ですが、私がロンドン時代に、哺乳類培養細胞を用いて、正常上皮細胞と変異細胞の間で細胞競合が起こり、変異細胞が競合の敗者となって上皮細胞層から排除されることを世界で初めて哺乳類で示しました。北海道大学に移ってから、研究をさらに加速させ、多くの業績を挙げることができました。まず、細胞競合を制御する分子メカニズムについて多くの知見を得ました。例えば、正常上皮細胞は隣接する変異細胞の存在を認識し、フィラミンや中間径フィラメントのような細胞骨格タンパク質を変異細胞との境界に集積させ、変異細胞を上皮細胞層から積極的に排除することを示しました(Kajita et al., Nature Communications, 2014)。このデータは、正常上皮細胞が免疫系を介さない抗腫瘍能を有していることを示唆しており、我々はこの現象をEDAC (Epithelial Defense Against Cancer)と名付けました。また、正常細胞に囲まれた変異細胞において、解糖系の亢進とミトコンドリア機能の低下というワールブルグ効果様の代謝変化が生じ、それが変異細胞の上皮細胞層からの排除を促進していることも明らかにしました(Kon et al., Nature Cell Biology, 2017)。このように、正常細胞と変異細胞の境界では、両者の細胞に様々な細胞非自律的な変化が生じ、それらの多様なシグナル伝達経路や細胞骨格系の制御が変異細胞の排除を誘起していることが分かりました。細胞培養系に加えて、我々はマウスを用いたin vivo細胞競合マウスモデルを作成することに成功しました。このマウスモデルを用いて、体外への変異細胞の排除が、腸管・肺・膵臓・乳腺など様々な上皮組織で生じることを示しました。さらに、高脂肪食を与えて肥満になったマウスでは変異細胞の排除が抑制されることも明らかにしました (Sasaki et al., Cell Reports, 2018)。他のデータも合わせ、肥満、炎症、老化などの環境要因が、変異細胞の排除効率に大きな影響を与えることが分かってきました。これらの得られた知見は、これまでブラックボックスであったがんの超初期段階で生じる現象にスポットライトを当てたものであり、将来的には、がんの予防的治療薬の開発につながる可能性を秘めています。今後は、正常細胞と変異細胞が互いのどのような違いをどのように感じあっているのか、という、細胞競合の最も重要な課題に取り組んでいきたいと思います。

 教育面においては、全学教育「健康と社会 がん・生命科学から社会科学へ」をオーガナイズするとともに、理学部化学科、総合化学院、医学研究科において、年間合計約30コマの講義を担当しました。また、私の研究室において大学院生教育にも心血を注いで参りました。教育者としても、様々な経験を経て、大きく成長を遂げることができたように思います。協力講座として理学部化学科から毎年1〜2名の優秀な学部学生が配属された他にも、医学研究科や外部から大学院生が多く研究室に参加し、修士課程16名、博士課程11名の修了者を輩出いたしました。学生それぞれみんなが、とても真面目に研究に取り組んでくれました。献身的に研究室の運営に協力してくれたスタッフも合わせ、個性的な研究室のメンバーたちとの様々なシーンが鮮やかに思い出されます。ネガティブデータに共に打ちのめされ、時には激しくぶつかり合いながら、たまに出る思いがけないポジティブデータに興奮し、論文がアクセプト(あるいはリジェクト)された瞬間の歓喜(どん底の気持ち)を分かち合う。彼らと苦楽を共にした充実したこの10年間の思い出は、私の一生の財産になると思います。私の薫陶を受けたラボメンバー達が、今後、様々な分野で活躍してくれることを心から願っています。

 これまでの北海道大学での10年間、本当に多くの方々に支えられてきました。様々な活動を共にした遺伝子病制御研究所の皆さん、学生教育でサポートを頂いた理学部化学科や医学研究科の先生方、共同研究でお世話になった研究者の皆様、民間から寄付を募るスキームの立ち上げでサポートを頂いたURAの皆様、サイエンスカフェでの発表でお世話になったCoSTEPの皆様、研究室運営や研究費申請などで多大なサポートを頂いた医学系事務の皆様、昼練でしごいて頂いた職員バドミントン部の皆様、などなど、感謝の意を尽くすことができません。本当にお世話になりました。多くの思い出と感傷を胸に抱きながら、惜別の挨拶とさせて頂きます。

updated : 2020/08/31