YASUの呟き No. 23
モモの呟き
筆者 藤田モモ
あたしは猫。血統書付きのアメリカンショートヘアで名前はモモ。キャラメル色の縞で、お腹にアーチェリーの的のような模様がついているのがオリジナルで自慢。
物心がついた時には札幌のペットショップのケージの中にいた。当時3か月の超絶可愛いいあたしを奥さんが見染めてしまったらしい。
「初めて見た時はあんなにしおらしかったのに。フテブテしくなって、こんなに懐かないなんて。」
と従僕たちはよく嘆くが、知ったことではない。猫をかぶるのは猫の本領である。
あたしの従僕は、奥さん、優美さん、ヤスの3名。この中では、ヤスの序列が最も低いようである。
「最後の野菜生活飲んじゃったの?」
「あの高いシャンプーを使ったらダメでしょ」
とよく怒られている。哀れである。そのような厳しい環境で、ヤスは「モモちゃん〜」と猫撫で声で癒しを求めてあたしに近付いてくる。面倒臭いが仕方なく時折相手をしてやる。
5歳までは札幌のマンションの10階に住んでいた。ヤスの部屋の窓辺の箪笥の上から札幌の四季の移り変わりを楽しんだものだ。正面にどーんと藻岩山。眼下の山鼻公園ではいつも子供たちが群れていた。時折カラスが近くまで飛んできて、あたしの狩猟本能を刺激した。冬には白く埋もれた藻岩山をバックに降りしきる雪を飽くことなく眺めていた。
一昨年の春に飛行機に乗せられて京都に移住。今住んでいるマンションは2階建てで、ヤスの部屋の箪笥の上から隣の家の庭しか見えないのが残念だ。
俗説によると猫の語源は「寝子」。昼間よく寝ていることから名付けられたらしい。単に寝ている、と人間に思われているのが何とも癪に触り腹立たしい。我々猫は、思索者であり、哲学者なのだ。生きている意味、世界が抱える各種問題、前世・来世の縁、宇宙の成り立ち、サイエンス、など様々な事象について目を閉じながら日々思いを巡らせている。食事の用意や排泄物の処理などは全て従僕に任せ、あたしはゆっくりと流れる時の中で、充実した思索生活を送っている。でも、猫を上回るハイレベルの哲学的思考に耽っている生命体がある。森の大樹である。
「植物は動くことができず、動物よりも劣った生物だ」
愚かな人間が言う。とんでもない。植物は葉緑体によって太陽の恩恵をダイレクトに受けることができるから、餌を求めて動く必要がないのだ。陽の光を浴びつつ、彼らはひたすら深い思索を楽しんでいる。そして、風が吹く度に、葉擦れのさやけきで知的な会話を交わすのだ。猫は、その植物の会話を理解することができる。あたしのマンションの近くに下鴨神社の糺の森がある。時折、風に乗って、樹齢600年の大樹の呟きが漏れ聞こえてくる。長い歴史を生き抜いてきた聖樹の思索の奥深さにはいつも感嘆の念を覚える。それに比べ、人間は時間に縛られ、仕事に追われる哀れな存在だ。朝は目覚まし時計で無理やり起こされることで始まり、日中も職場で束縛。ゆったりマイペースの猫にとっては、信じられないストレスだ。ヤスも「忙しい、忙しい」といつも呟いている。そのように時間と大量の仕事に追われる日々の中で、どのようにして生きることを本質的に追求できるのだろうか。
「自分という存在にはどのような意味があるのか」
「どのように生きるべきか」
「何のために働いているのか」
このような問いを常に考え続け、自らの生き方に照らせ合わすには、時間と心の余裕が必要だ。本質的な問題を自省することなくその日その日を惰性で過ごす、「獣」のような人生を送っているヤス。少しでも猫を見習ったらどうか。
生物医学者のヤス。彼は本当に独り言が多い。研究費の申請書や論文などを読んだり書いたりしながら、あーだこーだと呟き、呻いている。ヤスの独り言を側で聞いていて、彼の研究分野である細胞競合について多くの情報を得ることができた。実に興味深い研究分野だ。異なる細胞が互いの違いをどのように認識しているのかが、現在とても重要な課題のようだ。あれやこれやと様々な仮説を考えているようだが、あたしから見てもヤスのサイエンスの思考の浅薄さ、センスの無さがよく分かる。
何らかの絶対主が創り給うたこの宇宙。この宇宙の壮大で緻密な成り立ちを乏しい感覚器と頭脳しか持たぬ人間如きが完全に理解することは不可能である。サイエンスとは、とてつもなく大きなパズルを手持ちのピースで埋めていく作業。サイエンティストは自分が見つけたあるいは他から得たピースの数々が、完成形のパズルのどの辺りを埋めるものか、また全体のどれくらいをカバーしているのかが分からない。得てしてヤスのようにセンスのない研究者は、自分が持っているピースのみで完成形を考えようとする。しかし、それでは決してパズル全体を俯瞰的に見通すことができない。自分が持っていないピースやまだ全く見えていない未知のパーツについても想像力を膨らませて、全体像に思いを馳せる。それによって初めて、創造主と会話を楽しむことができるのだ。ヤスにもサイエンスの真理を色々と教えてあげたいところなのだが、あたしの言葉は「にゃあ」としか聞こえないようだ。
札幌では食欲の塊のようなあたしだったが、京都に来てからめっきり食欲が落ちてしまった。また尿の量が異常に増えた。心配したヤスと奥さんが動物病院に連れて行ってくれた。そして、検査の結果、遺伝性の進行性腎臓嚢胞症と診断された。血統書付きの純血種の猫に、ある程度の頻度で生じる病気らしい。腹部エコーで、腎実質が多数の大きな嚢胞で占められ通常の4倍の大きさに膨れ上がり、消化管を圧迫していることが判明した。血中クレアチニンも上昇しており、腎機能がかなり低下していた。
「残念ですが、あと数ヶ月の命だと思います。」
あたしにとっても従僕にとってもショッキングな宣告。
最近、体重はどんどん減少し、自慢の毛並みも衰えが激しい。現世での命もどうやら残り少なくなってきたようだ。ヤスが、横たわるあたしを優しく撫でながら、「モモちゃん、長生きしてくれよ。」と語りかける。彼の声と指先からあたしへの深い愛情を感じる。
彼を見つめながら「ありがとう、ヤス。あたしがいなくなっても頑張ってね。」と答える。あたしの気持ちが、にゃあを超えて伝わればいいな。
updated : 2022/10/03